COURSE NAVI一度は訪れる価値のある感動のコースをピックアップ

大地の巨匠

繊細に作り出したダイナミック
上田治、そのルーツを探る

日本のゴルフコース設計の巨匠、井上誠一と並び称され、“東の井上、西の上田”といわれる上田治。生涯で50コース余りを手掛けているが、井上と比べると、その名や設計思想はあまり知られていない。彼の設計者としてのルーツを辿りながらその思想を振り返り、代表作である古賀ゴルフ・クラブの魅力を探っていく。

日本記録を樹立した天才スイマー

1907年(明治40年)、大阪府茨木市に生まれた上田治。彼の名が最初に知れたのは学生時代、スポーツ選手として。旧制茨木中学在学中に100m背泳ぎで日本記録を樹立し、20歳の時には第8回極東オリンピック上海大会に出場した経験もある。さらに、第11回ベルリンオリンピックに水泳団のコーチ、審判員として参加もしている。アスリートだった上田がなぜ、設計家としての道を歩み始めたのだろうか――。

11H・Par3・194Y

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コースデザインの道はアリソンから

京都帝国大学農学部で林学、造園学を学んだ上田は、卒業後に恩師の勧めを受けてある人物のコース造成に助手として加わることになる。チャールズ・ヒュー・アリソンだ。1930年に来日したアリソンは、わずか2カ月余りの滞在で東京GC朝霞コース(現存せず)、川奈ホテル富士コース、廣野GC、霞ケ関 東などの設計、改修に携わった。上田は廣野GC造成時の助手としてアリソンに帯同し、設計家としての基礎を築いたわけだ。ちなみに井上誠一は霞ヶ関(東コース)でアリソンの助手として設計家人生がスタート。上田と井上、日本コース設計の双璧といわれる2人の経歴はアリソンの助手から始まったことになる。

12H・Par5・522Y

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2度目の転機は欧米名コース視察

1932年の廣野GC完成後、造園の知識を買われた上田はグリーンキーパーとしてコースに勤務。生涯で最初に手掛けた門司GCの開場は1934年だから、ちょうどこの直後ということになる。1936年は彼の設計家人生の転機になった。ベルリンオリンピックに参加した後、約9か月間、欧米の名コースを視察。この経験が上田の設計思想に大きく影響を及ぼすことになった。帰国してすぐに大阪GCを設計。その後は1940年から1954年までの14年に渡って廣野GCの支配人を務めたが、3番目の作品となる古賀ゴルフ・クラブ開場は1953年。この時代の仕事だった。

8H・Par3・238Y

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