COURSE NAVI一度は訪れる価値のある感動のコースをピックアップ

大地の巨匠 下関GC

伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎を生んだ
響灘の風と青松と白浜

下関ゴルフ倶楽部は響灘(ひびきなだ)に囲まれた松林の白浜に展開する。およそ1000年前まで海だったが、土地が隆起して八ケ浜となり、その場所にゴルフ場が作られた。下関GCを語る上で欠かせないのが、伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎だ。彼の歴史と共に下関GCの魅力を紹介する。

文/小澤裕介 写真/細田榮久

資金難を救った中部利三郎

現在の下関ゴルフ倶楽部は1952年12月に川棚温泉ゴルフ倶楽部という名で3ホールがオープンした。その後、18ホールに拡張する計画を立て、八ケ浜の用地を買収。1954年にコース工事に着手したが、資金難に陥ってしまう。そこで乗り出したのが地元・大洋漁業の副社長を務めた中部利三郎だった。日本アマを6度制覇した伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の父である。翌1955年には川棚ゴルフ倶楽部に改称し、さらにその翌年の1956年に9ホールで開場。18ホールが完成したのは1960年だった。

7H・Par4・441Y

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下関に生まれ育った中部三兄弟

中部利三郎は3人の息子がおり、銀次郎は三男。兄に長男の一次郎、次男の幸次郎がいたが、一次郎は1959年に日本アマを制している。銀次郎が日本アマを初制覇する3年前のことだ。銀次郎の華々しい活躍の影に隠れてはいるが、一次郎は地元で「実力は弟以上」との声も上がっていたし、銀次郎が常々「尊敬するゴルファーは兄」と語っていたというエピソードも残っている。

4H・Par4・472Y

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元々は野球少年だった銀次郎

銀次郎がゴルフと出合ったのは小学校4年生の時だった。病弱だった息子の体質改善のために、と父・利三郎はメンバーだった門司ゴルフ倶楽部へ連れていき、一緒にコースを歩いたそうだ。最初は野球に夢中でゴルフにはあまり興味を示さなかったせいか、クラブを1本だけ持ち、父のラウンドについて遊んでいた程度。それでも6年生になった時にはハンデ20という腕前になっていた。本格的にゴルフに魅了されたのは中学入学後だ。

15H・Par4・437Y

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