コース日本では中々知ることのできない、海外ゴルフコース事情が盛りだくさん

USオープン ザ・オリンピック・クラブ

地元出身の男が、サンフランシスコ全般、とりわけザ・オリンピック・クラブでゴルフをすることが、特別な理由を語る。by Jamie Diaz

サンフランシスコ ラブストーリー

私が、地元のサンフランシスコに再び住んで35年が経つ。以来、私は数多くのすばらしいゴルフコースでプレーする幸運に与ってきたが、ゴルフを覚えた街の色、匂い、芝生、木々のイメージが、ずっと以前に強く印象づけられたことは明らかだ。
ハーディングパークは、私にとってアメリカのパークランド(温暖な気候の場所に見られる、まばらなに木が群生した草地)コースの典型例だし、ゴツゴツとしながらも美しい独創性を持つリンカーンパークは、まるでイギリスの島々にある名門コースで私に落ち着いたプレーをさせてくれるかのように取りはからってくれる。私に言わせれば、サンフランシスコ育ちのゴルファーは、どこに行っても心地よくプレーできる。

最も強烈な思い出

それに反して、私はザ・オリンピック・クラブを手の届かない理想として考えてしまう。ハーディングパークからマーセド湖を超えて、1マイルほど離れた場所にあるが、私にとっては、「遠く離れた場所」だった。オリンピックの壮大な、クリーム色と赤い屋根のクラブハウスを、フェアウェイと森の上に望める14番ティーに行くことが、いつも楽しみだった。その完璧なまでの調和は、1950年代の映画の背景に描かれたもののようだった。

そして、オリンピックがサンフランシスコのゴルフ史における重要なコースであることも知っていた。ベン・ホーガンとアーノルド・パーマーがスコアを大きく崩した痛恨の場所、ジョニー・ミラーが功名を成した場所、そして、私がベッドの脇に置きつづけた軽い読み物のゴルフ本として、チャールズ・プライスとダン・ジェンキンスがとらわれないスタイルで書いた題材だった。私にとって、ザ・オリンピック・クラブは、ゴルフというスポーツにおける非公式ながらも紛れもない世界とつながる、初めてかつ永遠の架け橋でもある。

私はこれまで数え切れないほど、このコースを崇拝しつづけてきた。数回プレーした後ですら、馴染みの感覚を抱きたくはなかった。オリンピックでの最も強烈な思い出は、初めて間近にコースを見た時だ。私が12歳の時、1966年の全米オープン最終ラウンドが行われる午後だった。9ホールを残してパーマーが7打差の首位に立っているとカーラジオで聞いた後、私の父はハイウェイ280号線を脇道に逸れて、表彰式を見るためにオリンピックへと向かうことにした。到着すると、大勢の人が帰宅しようとしていたが、クラブハウス近くにクルマを停めた。リーダーズボードを見ると、そこにはパーマーが優勝せず、どういうわけかビリー・キャスパーに並ばれたという信じられない証拠が掲げられていた。エスコートに脇を固められたパーマーは、濃紺のカーディガンと白いシャツを身につけたきらびやかな様子で、褐色に焼けた顔は雄々しかったが、唇と目は傷ついた雰囲気を醸し出していた。私はこの光景をいつまでも忘れないが、さらに鮮明だったのは、エメラルドのリボンのような18番フェアウェイだった。それは初めてメジャーリーグの球場の門を抜けて、フィールドを見下ろした感覚に似ている。だが、オリンピックのグリーンの影は、キャンドルスティックパーク(かつてのサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地)のそれよりも、さらに色濃かった。この時の衝撃は、「オズの魔法使い」で白黒からカラー映画に変化した時に似ていた。

これ以上の条件を揃えているゴルフクラブがあるとは言いがたい。

そう、その通り、全米オープンのトップ会場としてオリンピックを評価する時、私は大きく贔屓していることを認めよう。だが、それが真実でないわけではない。
オリンピックは疑いようがないほど特別だ。すべてを兼ね揃えた構成要素をひもといてみよう。

レイクコース、オーシャンコース、クリフズコースと合わせて45ホール、ポストストリートにあるダウンタウンクラブ、1925年頃にアーサー・ブラウン・ジュニアが設計したクラブハウス、太平洋沿いの立地は、現在決まっている全米オープンのどの会場よりも、すばらく活気のある街の中心地に近い(6マイル=約9.7km)。これ以上の条件を揃えているゴルフクラブがあるとは言いがたい。

140ヤード、6番アイアンの地

パッティングは別の話だとしても、全米オープンの会場を格付けする際、今回の会場、レイクコースが持つ魅力は大きい。おなじみのコース状態は、どこよりも確実に芯で捕らえたショットが要求される。理由はいろいろある。重い海辺の空気、特に風が吹いた時、東海岸にあるコースや南カリフォルニアよりも厚くみずみずしいライ、ブルーグラスのラフ、逃げ道をほとんど作らずスープボールのように霧を包み込み、さらに拡大しつつある「キャッチャーミット」のような森、今時のウェッジの滑らかな動きを妨げる硬い砂が入ったグリーン脇の深いバンカー、正確なアイアンショットが求められる、最低限の「安全」圏しかない小さなグリーン。PGAツアーで優勝する前にサンフランシスコ郊外で育ったアーロン・オーバーホルザーは、オリンピックやサンフランシスコにあるコースを、「6番アイアン、140ヤードの土地」と呼んでいる。そして、補足として、「どこよりも、とにかく難しいブランドのゴルフだ」と話している。
簡単に言えば、オリンピックとしのぎを削れるものはない。ウォーターハザードがなくても、たった1つのフェアウェイバンカーがあるだけで、1955~1998年の間に行われた4回の全米オープンは、それぞれ全長6800ヤード以下だったが、4人の優勝者のスコアを合計すると2オーバーだ。これほど“大きな”スコアになる“小さな”コースはない。
ゴルフ界の巨人たちは次のように語っている。1920年代に北カリフォルニアを初めて訪問した後で、設計家アリスター・マッケンジーは、「ザ・オリンピック・クラブが所有する砂丘は、モントレー半島にあるものほど壮大ではないが、アメリカで見た中でも最も洗練されたゴルフ場だ」と記している。ホーガンは、オリンピックを最も好きな全米オープン会場と呼ぶ。
バイロン・ネルソンは1940年代にサンフランシスコオープンで3度優勝した後、1950年代にはエキシビジョントーナメントを戦うために定期的にこの地を訪れ、若きケン・ベンチュリを指導した。1998年、ネルソンはサンフランシスコについて、「私の経験を踏まえると、優れたプレーヤーになりたいなら、全米で最高の場所。本当にここでプレーするのが好きなんだ」と話している。
アイアンの達人、ベンチュリやミラー、ショートゲームの魔術師、ボブ・ロスバーグ、パットの名手ジョージ・アーチャーら、サンフランシスコが輩出した最高のゴルファーは、芸術的なプレーヤーだ。この4人を合わせると、グランドスラムが成立する。おそらくサンフランシスコ一帯が完璧なゴルファーたちを育て上げた最高の例は、湾の向こう側、サンリアンドロで育ち、サンフランシスコ・ゴルフクラブのゴルフショップで働いていたトニー・レマが、初めてイギリスでプレーした1964年に、セント・アンドリュース・オールドコースで開催された全英オープンで優勝したことだろう。

サンフランシスコは、いいプレーヤーになるためには、おそらく最高の都市だ

1966年の全米オープンで19歳にして8位タイに食い込む数年前に、オリンピックのジュニアメンバーになっていたミラーは、サンフランシスコの最も力強いゴルフ解説者だ。「ゴルファーが望める最高のトレーニング環境だ」と言う。「霧はあるし、自分でボールを両方向に曲げられなければならないし、細く狭い場所からプレーできなければならない」。サンフランシスコと対極にあるフェニックスやツーソンの乾燥した空気の中にある、平らで完璧に芝が刈り込まれたコースでは、ミラーは常に圧倒的な勝利を収めたことで有名だ。「私が育った場所に比べると、プレーするのが簡単だった」と言う。
だが、サンフランシスコ血統の偉大なるプレーヤーの最後がミラーであるように、全米オープンの開催地だったオリンピックの日々は、2000年頃に起きた用具と距離の革命のため、過去のものとなってしまったようだった。特に、多層構造のボールのおかげで大半のツアープロが、簡単に10ヤード飛距離を伸ばすようになった後、レイクコースにやってくるオリンピアンは激減した。USGAも同じことを考え、2007年の全米アマチュアで使用された長距離バージョンのコース(約150ヤード長い)を入念に査定しなければならなかった。
この大会は成功したが、オリンピックのお偉方は積極的に動き、今年の全米オープンを全長7170ヤード、パー70でプレーできるような、さらに大きな改修をした。紙の上ではまだかなり小さなコースだが、再びオリンピックは大きなコースとなるだろう。
レイクコースは、メジャートーナメントで最も厳しいスタートが特徴となるだろう。1番ホールが簡単なパー5から、520ヤードのパー4に変更されたため、プレーヤーは守りに徹することになり、288ヤード、パー4のしっかりと打っていける7番ホールまで息つく暇がない。ここからオリンピックは、「可能性のある復活したコース」となる。特に、上がり4ホールは、154ヤードの15番ホール、巨大な670ヤードの16番ホール、2オン可能だがリスクの多い522ヤード・パー5の17番ホール、そして344ヤードの18番ホールは、21ヤード幅のフェアウェイを持つ最終ホールの厳しさがあるなど、オーガスタのようにストロークが大きく変化する可能性がある。
私と同様にひいき目に見ているミラーは、新しいオリンピックは、現代のトーナメントゴルフにおける最大のテストで、その真価を証明するだろうと考えている。私はかつて誉れ高かったサンフランシスコのゴルフコースが、再び活気を取り戻すことを楽しみにしている。オリンピックで開催された1998年の全米オープンの前、2009年に他界したロズバーグは、1940年代にサンフランシスコのリッチモンド地区で育ったことを懐かしそうに振り返り、「私が過ごした当時、サンフランシスコでゴルファーとして成長することは特別だった」と話した。世界最古の、連続して開催されるアマチュア大会でもある、サンフランシスコ・シティ・チャンピオンシップで、ベンチュリとハービー・ワードが優勝争いを繰り広げた1950年代半ばが、地元ゴルフ文化の頂点だった。1956年、ハーディングパークが舞台となった最終36ホールでは、ベンチュリが4アンド3で優勝したのだが、1万人のギャラリーが集まった。「サンフランシスコは、いいプレーヤーになるためには、おそらく最高の都市だ」と、2004年に逝去したワードは言っていた。「誰もがゴルフ好きのようだ。特に、レストラン経営者は全員で、まるで私たちを有名人のように扱ってくれた。彼らが経営するレストランに足を踏み入れると、ジョー・ディマジオやヒュー・マケルヘニー(1950年代のアメリカンフットボールにおけるスター選手)と同等になれたんだ」。
全米オープン開催の週、ゴルファーたちはサンフランシスコ・ジャイアンツのエース、ティム・リンスカムやNFLのサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのスター、フランク・ゴアよりも地位が高くなる。USGAがサンフランシスコを堪能することは間違いない。街そのものがすばらしいし、雷雨による遅延がなく、東海岸ではプライムタイムにテレビ放送ができる。だが何よりも、ホーガンから始まった神秘的な雰囲気、本当の歴史に対する期待がある。USGAのマイク・デービスが言うように、「オリンピックには不思議な何かがある」のだ。
ほら、私が「唯一の人物」ではないのだ。

  1. 1
    アイテム
    2012/10/18

    ウェッジのバウンス角を理解すればスコアアップ…

  2. 2
    コラム
    2012/08/14

    料理用スプレーで簡単に飛距離を伸ばす!? マ…

  3. 3
    レッスン
    2013/03/07

    タイガー・ウッズが教える! 強くなる10個の…

  4. 4
    レッスン
    2013/09/12

    「ぶっ飛ばしたいなら、俺のようになれ!」

  5. 5
    レッスン
    2013/01/23

    安定してベストショットを打つ方法 ダスティン…

  6. 6
    レッスン
    2012/08/23

    ユーティリティの基本

  7. 7
    レッスン
    2014/04/24

    真っ直ぐなティショットとピンに寄るショット …

  8. 8
    レッスン
    2013/01/31

    毎回ナイスショットするための5つの基本  ボ…

  9. 9
    レッスン
    2013/06/06

    タイガーが実践していること

  10. 10
    レッスン
    2014/01/30

    フィル・ミケルソンの「ドライバー上達法」